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総幼研の園では先生とひとりひとりの子どもとのかかわりが、希薄になるように思われますが? |
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先生と子どものコミュニケーションは、けっして一対一で行われるだけではありません。むしろ、コミュニケーションの基礎となる信頼関係は、お互いの心地よい緊張感あふれる日課活動において育てられるもの。集団でかかわりあうがゆえに、快適なリズムやテンポ、活力といったものが高まってゆきます。
そこで養われたコミュニケーションの密度は、さらに高くなって、たとえば自由あそびの時間、先生はつとめて多くの子どもひとりひとりにことばを交わす、といった配慮がなされています。もちろん、何かの課題活動中も、たとえばプリントや日記などの際に、個人の発達度や心理状態などを敏感にキャッチすることもできます。
先生と子どもの関係は、要は信頼関係。総幼研で育まれた信頼の絆は、その子にとって、生涯を貫く人間性への信頼へとつながっていきます。 |
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幼児期に知的な教育を行っても、小学校へ行けば、あまり差がなくなってしまうのでは? |
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総幼研教育の目的は、けっして「できる・わかる」ではありません。あくまでそれは結果のひとつであって、できる・わかるといういわば知識や技能を身に付けるためでなく、本性としての感覚強化、すなわち人間性そのものの教育を目指しています。
子どもができる、わかる、ということにこだわるのは、子ども当人ではなく、私たち周りの大人の先入観です。その大人の評価が、できる子をうぬぼれさせ、できない子を卑下させるのです。
私たち総幼研の教育は、できる・できないという枝葉を見るのでなく、将来美しい花を咲かせるであろう、太い根っこの育ちにつながる基礎教育に精進しているのです。 |
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幼児期には、もっと自由な遊びの体験が必要ではないですか? |
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一般に、子どもにとって遊びが大切だとされているわけは、遊びによって子ども自身が自己表現のよろこびを体感し、自らの行動をよりよき方向へ自発的に変えていくという発達が保証されているからです。
ですから、遊びは戸外で、自由に、というような限界があってはなりません。「幼い子どもたちは、自由のびのびでなければ自発的に喜んで行動しないのではないか」というような大人の固定観念が、逆に幼児の遊びの本質を見誤らせているといえましょう。
子どもの遊びは「自由奔放で野放図であること」ではありません。むしろ、子どもたちの主体的かかわりということに力点を置けば、総幼研のあらゆる教育活動、生活習慣、すべてが遊びのよろこびにあふれています。幼児の遊びとは、人間であることのよろこびに他なりません。 |
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総幼研では、家庭におけるしつけ教育はどのように考えていますか? |
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生活習慣のしつけとは、文字通り「しつづける」、生活を通して習い慣れるということでもあります。それには親の日常の生活様式や態度が、大きな模範となるでしょう。「習う」とは真似る、くりかえして行う、熟練するという意味が、また「慣れる」とは珍しくなくなる、ほどよくなる、上達するという意味があります。継続は力であり、子育てもまずすべからく真似て、くりかえして、継続して行うこと。これが幼児教育の人間形成を目指す第一の課題です。総幼研もまったく同じ原理です。
この原理は、いわゆる幼児の「学習」についても、まったく同じであって、目的は人間形成そのもので、文字が書ける、計算ができるというような「早期教育」とはまったく次元が異なるものであることをよくご理解ください。
子育ての基本は、いわゆる学習活動も含め「しつけの原理」、すなわちくりかえしと親子の結びつきの原理にあります。 |
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